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<震災5年>羽生結弦「苦難越える強さを」


160311 震災から5年 彼からのメッセージ 投稿者 YzRIKO


<震災5年>羽生結弦「苦難越える強さを」

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2011年3月11日、羽生結弦選手(ANA、宮城・東北高出)はまだ16歳だった。東日本大震災から5年。仙台市出身の少年はフィギュアスケート男子で日本のエースとなり、14年ソチ冬季五輪金メダルを筆頭に数々の栄冠を手にした。21歳となった現在、拠点はカナダにあるが、古里である東北の被災地への思いが薄れることはない。
 あの日は、仙台のリンクにいた。スケート靴のまま逃げ惑った。当時の記憶は夢に何度も出てきた。自宅は全壊判定となり、小学校の体育館で4日間の避難生活を送った。震災直後は「スケートを本当にやめようと思った」こともあった。
 被害の大きさを肌で知るからこそ「自分が選手でいる限り、直接的な活動はほぼ不可能」と言う。だから「フィギュアスケーター羽生結弦として支援できる精いっぱいのことを」と、気持ちを込めて滑ってきた。
 ことし1月、盛岡市での「NHK杯スペシャルエキシビション」に出演する前に、甚大な被害を受けた岩手県大槌町を訪れた。当時の町長らが犠牲になった旧役場庁舎の前で手を合わせ、津波が来た時の状況を関係者から熱心に聞き入った。
 子どもセンターで接した小学生の質問にも誠実に答えた。町教委学務課長の松橋文明さんは「(被災地について)よく考えてくれていた。励みになったと思う」と感謝した。
 今季のエキシビションで滑る「天と地のレクイエム」は震災を受けてつくられた。「ちょっとでも被害を受けた方のつらさ、悲しみ、苦しさを乗り越える強さを表現できたら」。しっとりしたピアノ曲の調べに復興への思いを乗せ、氷上を舞う。希代のスケーターは自らのやり方で、今後も被災地と被災者に向き合っていく。

元記事は こちら


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