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羽生結弦、新採点方式で究極の点数へ。男子フィギュアの劇的進化を振り返る。 [羽生結弦 試合]

羽生結弦、新採点方式で究極の点数へ。男子フィギュアの劇的進化を振り返る。

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言葉を失うような、圧巻の演技だった。

 羽生結弦が陰陽師『SEIMEI』のフリーで最後のジャンプ、3ルッツをきれいに着氷した瞬間、会場となった長野のビッグハットの観客から大きな歓声が湧きあがった。

「ありがとうございました」とテレビカメラや観客席に向かい、何度も繰り返す羽生。

 この演技なら、間違いなく前人未到の300点超えをやってのけるだろう、という確信はあった。それでも総合322.40という数字が出たときは、本人も驚きの表情を見せて、両手で顔を覆った。

「フリー200点超え、総合300点超えをしたいという意識はありました」と羽生は演技後に語った。だが自分はそういうプレッシャーを感じていることを自覚し、のまれないように意識したとも言う。

SPのジャンプ構成を最大限まで上げてきた羽生。

 いよいよ来るな、という予感があったのは羽生がSPのジャンプ構成を変えてきたとわかったときだった。

 これまで4回転トウループを単発で、コンビネーションジャンプはルッツでやっていた羽生が、単発は4回転サルコウにし、4+3のトウループをコンビに持ってきたのである。彼が跳ぶジャンプの中で、最高の難易度の構成だ。

「スケートカナダで、SPとフリーを実際に試合でやって今シーズン2戦目をやっていく感覚として、まだ調整できるなという感じがあった。またエキシビションの練習の際に、(両手両足を開いて横に滑る)イーグルからのサルコウやイーグルからの4回転トウループだとかそういった練習をしてみて、感覚がよかったんです。まあ挑戦という意味も込めてやらせていただきたいと思いました」

 コーチのオーサーは少し懸念を示したという、あまりにも野心的なこの構成。だが羽生は、初挑戦でみごとに滑りきった。

 2シーズン目となるSP、ショパンの『バラード』は昨シーズンからノーミスで滑りきることが一度もできずに悩まされてきたプログラムでもあった。だがこの大会で、いきなりSP106.33と自らがソチオリンピックで出した世界ベストスコアを5ポイント近く更新させた。

果たして、羽生に迫る選手は出現するのか?

 今回の羽生が出したフリーの216.07、総合322.40とも、これまで世界最高スコアを持っていたパトリック・チャンの記録を20ポイントほども上回る数字である。

 今後羽生がこの演技を安定して繰り返すことができるなら、少なくともスコアに関して彼を脅かすことのできる選手は、今のところほかにいない。羽生の一人勝ちの時代が当分続くことになる。

「このスコアが破られるときが来るとすれば、それは彼自身によってでしょうね」とコーチのオーサーは口にした。羽生が世界に叩きつけたこの記録に迫ってくるのは、本人以外に誰がいるだろう。

 この記録は一朝一夕にしてできたものではない。新たな歴史が刻まれるまでに、このスポーツは多くの道のりを経てきたのだ。

男子フィギュア界、新時代の幕開け――。

 今回のNHK杯ではSPで12人中10人が4回転を降り、さらにフリーでは羽生と2位のボーヤン・ジンが合計3回、無良崇人ら3人の選手がそれぞれ2回ずつの4回転ジャンプを降りている。

 この試合で初めて、国際試合で4回転を成功させたというアメリカのグラント・ホチステインは、「この試合の男子のレベルの高さはクレイジーだ。あり得ないレベル」とコメントした。

 わずか数年前のバンクーバーオリンピックで、4回転を跳ばなかったオリンピックチャンピオンが誕生したことが、まるで嘘のようだ。だがそれは、2010年オリンピック金メダリスト、エヴァン・ライサチェックに対する批判ではない。

 旧採点システムで育った選手たちは、調整の時間が必要だったのだ。

 4回転を跳んだ初の五輪チャンピオンが誕生したのは1998年で、ほかでもないこのNHK杯が開催された長野でのこと。金メダルを手にしたのは、ロシアのイリヤ・クーリックだった。

 だが当時の6点満点システムでは、ステップやスピン、そしてスケーティングそのものなど、ジャンプ以外の技術に対する評価が曖昧だった。選手たちはルールで設定された要素さえプログラムに含めば、あとはジャンプに集中することができたのだ。

現採点方式によってジャンプの進歩が一時低迷した。

 2004年に現在の採点システムが施行されて以来、ジャンプだけではなく、スピンやステップも難易度によってレベル分けされ、それぞれにポイントが定められた。

 スケーティング技術も数値となって具体的に評価されるようになり、選手たちに求められるものは以前よりずっと多くなった。

 もっとも2006年トリノオリンピック当時は、ISUもジャッジたちも、まだこの新採点システムで試行錯誤していて、この採点方式の影響の大きさはそれほど感じられなかったように思う。

 だがフィギュアスケート界に衝撃を与えたのは、2008年世界選手権でジェフリー・バトルが4回転に挑まずしてチャンピオンになったときである。4回転なしの男子世界チャンピオンは、1998年以来実に11年ぶりだったのだ。

4回転か表現力か……の時代を経て。

 後に羽生のSPの振付師をしたバトルは、現役時代にはスケーティング、スピン、音楽表現などどこをとっても素晴らしい選手だった。だが4回転だけは苦手で、試合で成功させたことはほとんどなかった。

 その一方で、2008年のこの試合で2位のフランスのブライアン・ジュベールは、力強い4回転ジャンパー。だがスケーティングを駆使した繊細な表現や、難易度の高いスピンなどは苦手な選手でもあった。今思い返せば、スケーターとして対照的な2人の実に象徴的な戦いだった。

 多くの議論を醸した2010年バンクーバーオリンピックでの戦いは、選手の顔ぶれこそ違ったものの、この2008年世界選手権の戦いの再現に違いなかった。ジャッジは強い4回転ジャンパーよりも、全体のレベルの高い演技を見せた選手を上につけたのである。

時代の先駆者となった高橋、そしてチャン。

「4回転か、表現も含めた全体の技術か」の議論がパタリと収まったのは、カナダのパトリック・チャンが4回転を跳ぶようになってからだった。

 それまで「4回転不要派」で、高いスケーティング技術などで世界の表彰台に上がってきたチャンだが、バンクーバーオリンピックの翌シーズン、突如として試合で4回転を跳ぶようになっていたのである。その理由の1つとして、チャンは2010年世界選手権で4回転フリップに挑んだ高橋大輔のことをあげた。

 豊かな表現力と巧みなステップで抜き出ていた高橋が、あと少しで4回転フリップを成功しそうになったのを目撃し、チャンは自分もスケーティング技術のみにあぐらをかいてはいられないと自覚を持ったのだろう。

羽生結弦は、前人未踏の世界へ。

 羽生はジュニアから上がってきた当時から、この高橋大輔とパトリック・チャンの背中を見て追いかけてきた選手だった。

 彼を含めて、現在の現役選手は、ほぼ全員が新採点方式で育ったスケーターだ。彼らの大多数は、先輩たちのようにキャリア半ばにして大きなルール変更に順応する苦しみを味わうことなくすんでいた。それだけに無駄のない、最先端のトレーニングを積んでくることができたのだろう。

 NHK杯のSP後の会見で、「SPで2度の4回転を入れることで失われるものはあると思うか」と聞かれた羽生は、「何もない、と思います」と誇らしげに答えた。確かに、今回の羽生のショパンSPは、欠けているものは何一つないプログラムだった。

 彼ほどのトランジション(ジャンプに入る前などの複雑なつなぎの動き)を持ち、スピードも、スピンの技術も申し分ない選手が、SPで2度、フリーで3度の4回転を入れる時代がやってきたのである。

 新採点方式が誕生して10年あまり。長所の1つはスコアの上限がないことと言われてきたこの採点方式で、驚くような新記録が出た。

 新採点方式の申し子ともいえる羽生結弦がいよいよ本格的に世界を牽引していく、新たな時代の始まりである。

元記事は こちら


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